逞しいなあ、と感じるのは20代から30代手前の若者である。がしかし、私には接点はうすいから少数派かもしれない。
この年代の若者たちはいろいろと世間的に制御され、大量の高齢者を抱える未来も含めて不自由であると、大人たち(オジンやオバン)は思っているが、どうやらそうでもないらしい。
彼らは型通りには生きない新しい人類である。現状がとか、環境がとか、全く関係なく、それは彼らの背景にしか過ぎないのである。そこに大人たちが思う悲観はない。勝手に我らが悲壮感のベールをかけたところで、彼らには見えないか、もしくはあったとしても蜘蛛の巣程度である。
「是が非でも」とか「なんとかして」とか中年が額に汗して頑張るような場面でも「やれるんじゃあないの」とか「まっ、そんなもん」とあっけらかんとしていて投げ出している風でもない。変な気負いや背負っている漬物石がない。自分を追い込むことで、火事場のバカ力を信じてなんとかしようとあがく我々とは違うのである。立派である。今風に言うと「いいね」を上げたいところである。
そういったデジタル時代の申し子たちが作る未来は、そんなに悪くないかもと思ったりするのは、ちょっとだけ感化されるオバンだからである。
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