自分に構う

 敬老の日である。年寄りを敬いましょうということである。自分もどんどんそっち側に入っていくのはわかるが、敬われる立場には到底なりそうにない。
 少子高齢化といわれて久しいが、高齢者であってもバンバン社会で活躍する人は多い。なにせ人手不足であるから、猫の手ならぬ高齢者の手も欲しいところであろう。
 私が良く利用するスーパーでは、背中の曲がった80代と思われる男性女性が働いている。カートを片付けたり、陳列したりしているのである。やはり作業に没頭するあまり、お客さんにはなかなか目がいかず、自分の作業優先である。しかしお客の方もそれがわかっているので、作業が終わるまで話しかけたりその陳列棚に近寄ったりしない。
 元気よく働いている高齢者は、生涯現役といって、体を動かしてルーチンワークをこなし楽しそうである。楽しそうであるから表情からして若々しい。「いいね!」をあげたいところである。
 70代であってもすごく老けている人、90代であっても溌剌としている人、人生後半戦で大きく差が出る。周りが高齢者だらけであるから、観察していると「衣食住」にかまわなくなると、人は本当の意味での他力で生きるだけの高齢者になっているような気がする。
 だから、腹が出たとか、染みができたとか、皺が深くなったとか、白髪が増えたとか言って騒いでいるうちは、まだ自分にかまっていることの証であろう。 自分のことがどうでもいいようにならないようにしたいものである。

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