心のパラボラアンテナ

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 「どこかに行きたい」は現実逃避の常套句の一つであろう。「どこか」ということ自体、具体性のないところで現実逃避である。
 それでも「行きたい」と思うことは前向きだと考えるべきであると思う。毎年の老化で己一人での行動範囲は狭くなるのだが、老化がどんどん進むと出かけることすら億劫になり、日々の生活だけでやっとになるからである。
 どこかに出かけるための必須アイテムは「健康、時間、お金」の順であると思う。これらに共通しているのは「余裕」である。老後の問題はこの「余裕」がいかほどあるか、若しくは残っているかに尽きる。出かけるために「人」は必要ないのかといわれそうだが、これは必須ではない。「余裕」があれば必然的にメンバーは集まり、また独りで楽しむこともできる。
 無職になって思ったことは「ガツガツ」生きることに飽きたのである。どう生きてもあと30年ぐらいである。ここから先は楽しんでなんぼという世界である。まだ、起きてもいないことを心配してくよくよする時間も惜しいので、なんとかなるだろうというくらいでちょうどよい。
 不可抗力以外のやりたくないことはやらない。「我慢」とか「忍耐」とか「無駄な努力」とかに捕らわれているうちに人生が終結するのも虚しいので、そういうものとおさらばである。 「へえ、こんなところ・ものがあるのか」と気持ちが誘われるうちは妄想もフル活用して近場であろうが、テレビであろうが、本であろうが好奇心のアンテナは立てておきたい。

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