「ふるさとは遠きにありて思ふもの」とは室生犀星の詩であるが、続くところは「帰るところにあるまじや」となる。
遠くにあって懐かしいなあと思う反面、帰ったら、今風に言えば「マジかよ」である。都会に住んでいるといろいろな当たり前が、田舎では一瞬にして消えるのである。
地方銀行に平日の昼間に言ったら、窓口が閉まっている。「昼休み」らしい。バスと徒歩でやっと、少なくなった店舗に辿り着いたら「これかよ」である。
商店街はシャッター街で、行きかう人はほとんどなく、すれ違っても杖を突いた老婦人ぐらいである。本屋に入れば新書や単行本もほとんどない。いくつもあったケーキ屋も消えた。各地の名産を置いていた老舗の食料品店もその辺のスーパーと変わらない。パン屋もなくなった。アーケード街をあるいてもコーヒーさえ飲めないし、デパートは消え駐車場になっている。
望郷の念はいつしか怨念に変わる。そして気づくのである。栄えているのはほんの一部の大都市だけであることを。
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