社会的信用は大事である。そうしなければ家さえ借りられない。それどころかクレジットカードの限度額にも引っかかるところであろう。そのためにいろいろなIDがある。それがなければ口座も作れないし、簡単な住所変更さえ難しい時がある。
社会的信用はともかく、人としての信用はどうだろうか。お金の貸し借りなどはシビアな問題であろうが、それ以外に、その人の言動が正しいか、そうでないかによっても信用は異なる。「あの人は変わっているから」というカテゴリーに入るとすると、人が寄り付かないか、あるいはその部分以外での付き合いになるか、であろう。
自分はどうかといえば「変わっている」部類に入るかもしれない。こればかりは本人にはわからないが、周りの空気を読むとそんな気がしている。いわゆる言動に信用がおけないのか、あまり信じてもらえないことが多い。家族からも知人からも話を反らされることが多いのは、信じていないが面倒な事にもしたくないということだろう。
シャットダウンされたところで、だいたい心は折れるのであるが、「信じるか信じないかはその人の問題であって、伝えるか伝えないかはあなたの問題である」とたまたま読んだ本に出ていた。ほーなるほど、そういうことか思った。「人は見たいと思う現実しか見ない」といったユリウス・カエサルの言葉が染みてくる。
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