繰り返す呪文

 高齢者と話していると、どこまで通じているかよくわからないことがある。生返事をすることも多い。途中から聞いていないか、本人の中で全く別の話になっているか、定かではないが、意思の疎通が難しい。
 先日、叔母と電話で話していて、他愛無い天気の話とかは問題ないのだが、混み入った話になるとかなりのずれが生じてくる。しっかり者の叔母であるが、時間的な認識が怪しくなってきた。何時にどこにそこに着くには家を出るのが、と逆算して話していると、スタートとゴール地点だけならいいのだが、途中二か所寄るとなると、所要時間の目安をプラスしての出発時間がずいぶん怪しい。「じゃあ○○時に出ればいいね」というのだが、それでは到底本人が思っている時間帯には着かない。ひとつひとつの乗り換えを含めた所要時間を説明して「○○時では間に合わないよね」というと、「ああ、そうか」と一旦納得してくれるのだが、電話を切る時には、またしても「○○時に出ればいいね」と間に合わない時間設定となる。
 うーむ。また説明するのもくどくなるので「よく行程を確認してから決めた方がいいよ」と電話を切った。
 高齢者との会話ではなんでそうなるんだ、ということが多い。たまにしか遭わない人であるなら適当に合わせておけばいいだろうが、一緒に生活している場合はそうはいかない。紙に文字と図を書いて何回も説明することになるが、本人もうるさがるからまた面倒である。
 「眼科に行って、帰りに買い物をして帰ってくるから時間がかかる」と説明して出かけても帰ってくると「買い物にしては長いからどっか行ったの?」となる。
 こちらの言うことの半分しかわかっていないのだと思わなければイライラが溜まるので『半分、半分、理解は半分』と呪文を心に止める日々である。

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