繰り返し聞かれること

 またしても、救急車を呼ぶことになり、怪我をした母を緊急搬送した。
 前回もそうだが、救急車を呼んだ方がいいのか迷う。一番いけないのが決められないでもたもたしていることだろう。
 救急車を呼ぶ前に7119ということももちろん知っているが、そこで相談している間に刻々と時間は過ぎる。やはり「緊急」と自分で判断することが肝要であるように思う。
 母の怪我は、ふくらはぎである。皮膚が弱いため、ごっそり肉ごと大きく剥がれて骨がみえそうであった。出血の具合から救急車を呼んだが、その間止血もしていたので、その判断でよかったようである。
 救急車を呼んだのは2回目だから、乗る前に何がいるかはわかっている。救急車到着前の10分間で走り回って必要なものをバッグの中に入れる。そして何を聞かれるのかわかっているので、準備しながら頭の中を整理する。この「聞かれること」は、同じことを何度も繰り返すことになる。
 まず、119に電話した時、来る救急車の中から電話がかかる時、着いた救急車に乗り込んで付き添う時、病院について救急救命室の問診の時、患者を診る前の医師に呼ばれた時、患者を診た後の医師に呼ばれた時、少なくともこれらのタイミングで同じことを聞かれるのである。
 それが起こった時間から時系列で、どこで気づき、何をしたか、あるはしなかったか、どこでどのように、どんな関係者かと、何を見て何を見ていないかなど、今回は6回聞かれたが、それが食い違わないということで信用されるようだ。高齢者の場合、独自の問診表もあって、日頃のことがわかっていないと書けない。救急救命室と待合室の行ったり来たりで、呼ばれたら救命室に入るというのも繰り返す。
 ということで、待っている間も含めて非常に疲れた。そして救急車で来たので、帰りのことも考えておかねばならない。
 まあ、いろいろあるがなんとかやり切った。でもこれからが大変だったりする。とほほ。

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