5月に入って、ゴールデンウィーク真っ只中である。まあまあの天気に恵まれているが、これといって出かけることもない。
ふと庭を見るとボウガシの枝が伸びて、隣家へ越境しているではないか。昨日まで上に伸びていたが、枝が柔らかいためか風に煽られ、びゅんと曲がっている。これはマズイと思い、枝を切ることにした。
枝を切るためには脚立に登る必要があるが、庭が不安定なのでグラグラする。何とか平衡を保ちながら登って枝を切った。脚立を移動させながら塀沿いの越境部分は切りまくったのである。
切った枝を見ると、これを片付けるんかい、と突っ込みたくなるほどたくさんある。しょうがないので袋を持ってきて、さらに枝を切ったり折ったりしながら詰め込んだ。大袋4個半が出来上がった。気が付くと8時から11時まで、3時間かかっていた。
我ながら大仕事をやり終えた感があったが、当家の老人たちはその時間に家にいたが、そんなことが行われているとは知らず、切った枝も、そのゴミも目撃していない。つまり家のボウガシの木が切られていることも気づいていない。
植え込みの花を変えても、庭の草抜きをしても、老人たちは知らないのである。家の中でテレビのある居間からトイレまでの距離しか移動しないので、外には全く興味はないし、晴れているのか、雨が降っているのか、それすら知らない。外でなくても、玄関に生けている花さえ見ていない。
そういう状況は、もはや自宅で生活しなくてもいいのではないか、施設でいいのではないかと常々思う今日この頃である。
生活の場

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