哲学ではないが「生きていることの意味が分からない」という若者が多いという。何も昨今の若者の話ではなかろう。誰しも一度は考えるのではないか。もちろん自分も考えた。しかしその時には、没頭することもなく暇だからこんなことを考えるのだ、と思っていた。けれど何かの折に、ときどき鎌首をもたげて思い出していた。
高校生の時、倫理社会の時間ではなく、世界史か日本史の授業だったか、先生がクラスのみんなに聞いた。「人間は何のために生きているのか」と。明確に答えられるクラスメートはいなかった。みんな目先の目標のようなことを答えて、「じゃあそれが終わったら、それが叶ったら」と問われて困っていた。先生は「幸せになるためだ」といったように思う。誰しもピンとこなかったようだ。先生は幸せになるためにどうすればいいかまでは教えなかった。先生もわかっていなかったのかもしれない。ただ「幸せになるため」といわれた時「そんなの当たり前じゃん」と思ったように思う。しかし、あれから複雑怪奇に生きているせいか、ずっとそれが難しくなっていた。
今はちょっと違う。「幸せになるため」は終わりを告げて、「幸せでいること」のように思っている。そしてそれにはたった2つのことでいいと思っている。1つは自分の機嫌は自分でとることである。例えば意地悪攻撃にあったとしても、周りに左右されないということである。2つ目は卑屈にならないということである。自分を貶めていいことなど一つもないのである。そして今は「そんなの簡単じゃん」と思うようにしている。
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