日常に追われているのは時間配分が甘いせいかもしれないが、家事や介護関連であっという間に時間を使い、やれやれと深夜になって自分の時間になると、ダラダラしたくなる。読もうと思った本は積読で、気になった動画を見ているとすぐに30分ほど経過する。こんなことの繰り返しである。
そんな中で、少しでもよかったことをメモしてみると、万年青の花が咲きそうとか、台所の排水が高圧洗浄せずに通るようになったとか、枯れ木であった金木犀の葉っぱが茂ったとか、高性能のPCを安価で買えそうとか、取るに足らないことばかりであるが、数えればよかったことは周りにあるものである。
当たり前と思ったことが失われた時、人は初めて自分が恵まれていたことに気づくというが、ないものを数えず、今あるものに目を向けることが大切だという。
指先が割れて痛い思いをすると、痛くなかった時がどれだけよかったか思い知るのである。けれど治ってまた普通に使えるようになると、使えなかった時を忘れてしまう。つくづく自分は懲りない凡人だと思う。
けれど、気づいたことがある。取るに足らない小さな良かったことを挙げ連ねていくと、なぜか人の親切に接する。それが、今まで不愛想と思っていた人や、全くの一期一会の人など、ぽっと明るい光がお互いの心に灯るような一瞬がある。その瞬間「あっ、繋がった」と思うのである。これは不思議な現象である。
何かが大きく変わることがあったわけではないが、小さいことの積み重ねがいつかドカンと大きな何かを連れてくるのかもしれない。
小さな幸運のその先に

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