お財布の整理で硬貨を出した。するとやたらにぼろぼろの1円玉があり、見てみると「昭和33年」ものであった。今まであまり古い1円玉に遭遇したことがない。昭和30年代はどちらかといえば珍しく、65年もの間、放浪してきたかと思うと感慨深い。
硬貨の製造年月を見ることが多い。そんなのことが何の役に立つのだといわれそうだが、自分と同い年の硬貨を見つけると、「あんたも頑張って来たね」と慰労の念が生まれるのである。
有名なところで「ギザ十」がある。十円玉の周りがギザギザになっているもので、昭和20年代のものである。いつから硬貨の年月を見るようになったかといえば、子供の頃である。
その頃、まだ穴の開いていない5円玉や大きい50円玉などがときどき出回っていたので、何となく硬貨を見る癖がついていた。100円も500円も札の時代である。
知人の誕生日に生年月が同じ硬貨をあげたりするが、ほとんど喜ばれることはない。「それがどうした」と思われているようだ。
私は近眼だが、裸眼で歩いていることが多い。しかし、なぜか硬貨が落ちているのはよく見える。必ず拾う。大体道に落ちているので風雨にさらされ人に踏まれているだろうから、かわいそうになって持って帰って洗う。
硬貨を見る癖があるせいか、おつりの500円玉が記念硬貨だったこともある。「ラッキー!ようこそ」である。
今ではなんちゃらペイがあって小銭を持ち歩く人も少なくなっているだろうが、見えるお金が好きな者としては小銭もまた楽しいのである。
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