年寄りといえば「頑固」というイメージがあったが、今は頑固を通し続けるのはむしろ「偏屈」ということになるかもしれない。年寄りは頑固であっても偏屈であっても、面倒がられる。「聞き入れない」という難点があるからだ。納得させるのは至難の業でどちらかが諦めるほかはないのだが、片方は腹が立つ。
それでも素直な高齢者はいる。若輩者を立てて自分は出過ぎず見守るタイプの方である。そうして自分が年老いてできないことは人に任せることができる。高齢者予備軍の当方はそれができるかどうかわからない。「超偏屈ばあさん」へ近づいているような気もする。愛されるかわいいばあちゃんにはならないだろうと自分も他人も思っている。
美術家の篠田桃紅氏のように年老いても気骨のある女性もいた。氏は「わが立つ杣」の話をされていたように思う。人生において自分が立ちうるところはそうどこにでもあるものではないから、山の斜面に束の間、やっと立つことできた場所があるならそのことに感謝することをおっしゃっていたように思う。 偏屈なばあさんになっても感謝できる人間でいたいと思うが、自信がない。(^^;)
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