50年前の今日、母が脳梗塞で倒れた。まさに曜日も同じで、私が小学生の時である。母は今も右半身不随で、身障者として現在に至っている。
あの日の朝、家の外に出て救急車を誘導したことなど、意外に覚えているものである。救急車で運ばれた病院で動かせないということで、一週間くらい生死を彷徨い、一時は助からないといわれ、目覚めた時にはほとんどの記憶がなくなり、言語障害と、頭の先から足の先まで右縦半分の麻痺を患っていた。そこから長い長い闘病生活とリハビリが始まった。
今でいうところのヤングケアラーであろうか。当時そんな言葉はもちろんなく、子供が親の介護をすることなど世間的には殆んど知られていなかった。また母が30代という若さということもあり、珍しかったように思う。
なにせ子供であるので、親戚を含め色々助けていただいた。いろんな人が入れ代わり立ち代わり、半年ほど手伝ってくれた。そこから先は本人の努力と家族の協力なしにはここまでこれなかったであろう。
今、考えてみると、命を助けてくれた医師、よく面倒見ていただいた看護婦長、手伝ってくれた親戚、知人等の多くが鬼籍に入っている。母より若かったり、60代、70代で亡くなっている。命が危ないといわれ、障害をもった人の方が長生きしているから不思議なものである。
自分が還暦を過ぎて思うのは、あの頃の大人たちは結構若かったのだと。あれから半世紀たって、年の割には成熟度が低い自分を意識するのである。
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