あれから13年、あれから1年。前者は東日本大震災で、後者は自分の引越である。
13年前のあの日のことは、多くの人が覚えているだろう。私の場合、勤め人であった。朝から腰が痛くて(ぎっくり腰である)、自分の主催する会議がなければ、休みたいところであった。午後の会議が終われば、早退しようと思っていた。そしてあの地震である。今ほど、どこで何が起こったのかわからなかった。
多くの人が、家族と連絡が取れず、子供の学校や妻や夫の勤め先に向かったり、自宅を目指して長い道のりを歩いていた。
それを見ながら、大変だなあと思いつつも、自分は誰の心配もしなくていい身であった。こういうとき一人は楽である。自分のことさえ考えていればいいし、避難などの選択を間違えても、害を被るのは自分だけである。腰をさすりながら、公衆電話(その頃、会社にもあった。携帯は繋がらない)で自宅マンションの管理人さんに電話した。電話は繋がり、マンションはライフラインに問題もなさそうで「交通機関が動き出したら帰ってくればいい」とのことだった。会社のフロアにはほとんど人がいなくて、地下鉄が動き出すまで暇なので、自席で仕事をしていた。
その時は一人で不安ということもなく、心配する人がいないことに安堵していた。
しかし、今はそうはいかない。まず老親をどうするかという問題がある。自分一人よりずっと気が重い。
引越から1年。バタバタと過ごしてきたが、防災意識とともに「逃げる」より「籠城する」場合を考える日々である。
コメント